人は彼をカリスマ薬剤師と呼ぶ・・・か? 第3章・落ちた・・・か?





薬学部の入試はなぜか早い。1月の下旬から始まり、2月の上旬までにほとんどが終わってしまう。

既に当時の受験票などを処分してしまっているので思い出すことは出来ないが、センター試験と私立の薬学部を5〜6校受けたと記憶している。

周知の通り、センター試験は国公立大学がメインだが、私立大学の受験にも使える。だが、センターの成績では国公立の受験者にかなうわけがないので、出願をすることはなかった。(これは現役の時の反省)

ではなぜセンター試験を受けたのかというと、一つは受験慣れのためである。

いくら予備校で模試を受けていると言っても、模試と本番の試験は気合いの入れ方がまったく違う。それに、センター試験の場合、終了直後に予備校の集計がでるので(しかも無料)、代ゼミ・河合塾・駿台のすべてに成績を提出し、現在の偏差値を出してみた。言ってみれば、大規模な模試みたいなものである。

冬頃の模試で、一部の薬学部にB判定がでていたので、ある程度は安心していたが、入試は受けてみなければわからない。本当は今年こそ「下手な鉄砲も・・・」作戦で行きたかったのだが、親の反対で受験校を絞らなくてはならなかった。それでも、あまりに不安だったので自分でお金をだし、一つ受験している。(ちなみに不合格)

最初の受験は1月下旬の明薬。ここで、合格となれば幸先が良いのだが、なんと不合格。まぁ、多くの薬学部受験生も同じことを考えるだろうと、あまりくよくよせず、これはレベルが高いのだと勝手に判断。次の昭和大学の受験にかける。

昭和は確か2/1だったが、割と出来た気がした。翌日が確か星薬。それ以外には日大・東薬男子部・共立薬科・明薬を受験している。

日大の受験と言えば一つ忘れられない思い出がある。確か、前日に別の受験があり(共立薬科だったかな?)鞄の中に日大の受験票をいれ忘れたまま電車に乗ってしまったのだ。電車内で気づいたものの時既におそし。そのときは友人と一緒に会場に向かっていたが、電車を途中下車。東海道線川崎駅で公衆電話から大学へ連絡してみると「はい!そのまま会場へ来てください。」といきなり言われた。一応、手帳に受験番号をメモしてあったので(たしか、電話番号は友人の受験票をみたのだと思う)事前に連絡することが出来、会場でもスムーズに仮・受験票が発行された。受験票を忘れたのだから絶対に落ちるだろうとタカをくくっていた。

次に迎えた東薬の受験日は、共立薬科・星薬・昭和大の発表日だったと思う。東薬の受験の帰りに結果をこの目で見に行くことにし、まず共立に行ったものの自分の番号はない。だんだん日暮れも近くなってきており次の星薬に行くことにした。

星薬についた頃はあたりはすでに薄暗くなっていた。星薬は毎年数学の問題が他よりむずかしく、英語と化学は出来たと思っていたが、おそらく落ちているだろうと思っていた。友人も同じで、昭和か日大のどちらかが受かっているのではないかと読んでいた。

予想通り、お互い番号は見あたらず、昭和大学に急いだのだが、既に真っ暗。合格発表の掲示板には灯りがともっていたものの、薄暗くよく見えない。しかし、自分の番号が見あたらないのは薄暗いせいではなかった。

予想外の結末。すべて不合格。その友人と近所のそば屋に入り(元々どちらかが受かったら相手にそばをおごる約束になっていた。なぜそばだったかは覚えていないが)、今後の対策を考え、今から出願出来るところにとりあえず出すことにした。城西と昭和薬科がまだ間に合うことがわかり、二人で次の日に昭和薬科に出願しに行くことにした。(郵送では間に合わなかったので、直接大学に出向くことにした。)

家には電話で伝えてあったのだが、やはり家に帰るとムードが暗い。母親にも「がっかりしちゃった。」などといわれ、早く寝てしまう始末。父親の帰りを待ち、不合格の報告と今後の対策について話し合い、10万円を受験料としてもらうことが出来た。

翌日、その友人と昭和薬科に赴き、出願。しかし、二人とも昭和薬科の受験の予定はなかったので過去問を持っていない。そこで、その帰りに駿台町田校に立ち寄り、横浜校の学生証を提示することで過去問をコピーすることにした。なんとしても合格するぞと気合いを入れた。

その日、家に帰ってみると、マンションの集合ポストに速達の郵便が入っている。封筒は星薬科大学の封筒。ただし、ペラペラ。

いまだ受け取ったことのない合格通知というのはいろいろな書類で厚くなっていると聞いていたので、「ははぁ。この大学はご丁寧に不合格通知を送ってくるのか?」とマジメに思った。(現役の時には星薬は受験しなかったのです。)

念のため、中を明けてみると・・・なんと中に「合格通知」が!!!

その場で、「やったー!!!」と叫んでしまったことを今でも覚えている。

走って家に帰り、会社の父、祖父母、駿台に電話で連絡。父方の祖父に至っては涙を流してしまう始末。丁度そのころ母親が買い物から帰ったのだが、私は電話中のためこの事実を伝えられない。母親はそのとき「この子は大学に落ちているくせに、甲高い声で電話なんかしちゃって、頭がおかしくなったのかと思った。」らしい。

母親にも報告し、その日は急遽寿司をとることになる。今でも忘れられない星薬の発表日の出来事である。

しかし、この事実を一緒に薬学部を受験している友人に話すべきなのだろうか、と悩んだ。その友人の話では日大が受かっていそうだというので、日大の発表に一緒に行くことにし、そこでうち明けることにした。

日大は受験会場は御茶ノ水なのだが、発表は千葉のキャンパスでしかおこなわない。決して近いとは言えなかったが、品川で待ち合わせて千葉まで向かうことにした。大学の最寄り駅からは歩いて10分程度。駅から歩いていくと、向こうから女子高生が歩いてきた。涙を流しながら・・・

それを見た瞬間、自分もか・・・と思ったが、とりあえず掲示板に急ぐことにする。ところが、やたらその紙が小さい。当然、二人とも番号はない。特に、その友人にとっては最後の砦のようなもの。こちらは星薬の合格がわかっているのでそれほどのショックでもないが、友人のショックは相当だったと思う。

しかし、自分の合格を伝えなくてはならない。とりあえず、その友人に「今落ち着いてる?」と聞いてみた。すると「あぁ。なんで?」と逆に聞かれる。大変言いにくいのだが・・・と前置きし、自分の星薬の合格を伝えた。友人は祝福してくれた。「もしかして、俺が落ちてたから、今まで隠してた?」と言われたが、確かに星薬の掲示板に番号はなかったのである。当然、約束通りそばをおごることにし、友人が受験する予定の東邦大学へ夜遅くではあったが行ってみることにした。(日大も東邦も割と近くなのです。)

結局、その友人はすべて不合格となってしまい、すべり止めとして受けた文系の学部に進むことになった。しかし、気になるのは星薬の掲示板である。たしかに、見た時には自分の番号は見あたらなかったはず。でも気になるのでもう一度見に行くと・・・、ちゃんとありました(笑)。ただし、みえにくいところに。

その後、東薬と日大からも合格通知を頂きました。なぜ、日大から?と思いましたが、後にわかったことは、日大は補欠合格が多く、補欠の分は掲示されないのです。友人は補欠でも無理でしたが。

いろいろありましたが、これで長かった受験生活も終わり。4月からは、夢にまで見た大学生活です。

第4章は、大学生活:1〜2年です。


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